制作か製作か。アニメか広告か。

各位

お世話になります。
ギリ健でオタク㈱の ふらろ です。

表題の件につきまして、投稿させていただきます。
現在、弊社(社員一名)では将来の仕事、ひいては人生に関わる重大な"悩み"に直面しておりまして、一度ご相談させていただければと考えております。

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ということで、形式上"ご相談"と書いたもののおそらく自分で答えを出すしかない悩みがあるんですけど、ちょっと読んでってくれません?
ええ、言いたいだけなんです。
なんのオチもないですよ。


前々回の投稿に合わせてアニメの話から入らせてください。
(僕は業界の人ではないので、あくまでGoogle検索ベースの話ね)

アニメの仕事には、「制作」と「製作」があります。
A-1PicturesやサンライズP.A.Worksなどは"制"作会社ですね。アニメーターや監督、制作進行などの類はこちら。
"製"作はその上流で、資金繰りや商品展開などで関わります。
オープニングやエンディングの最後に必ずクレジットが入る「〇〇製作委員会」「Project〇〇」がそれ。必ずしも製作委員会方式ではないけれど。
広告会社やTV局、Blu-ray/DVDのパッケージを販売する会社、音楽の配信・販売をするレコード会社、ライセンス商品を販売する会社、原作があればその出版社、映画であればそれを買い付けて興行先に販売する配給会社…等々、製作委員会はそのコンテンツ毎に異なります。
例えばガールズ&パンツァーならバンダイビジュアル博報堂DYメディアパートナーズ(劇場版から同ミュージック&ピクチャーズ)、ランティスなど。デジモンアドベンチャーならフジテレビや読売広告社ガンダムならもちろん創通…つまりバンダイナムコですし、鋼の錬金術師ならスクエア・エニックスアニプレックス毎日放送電通ミルキィホームズならブシロードが、それぞれ製作に関わっているはず。(ガンプラのCMを見たら「創通だなぁ」と思うし、デジモンの玩具CMを見たら「読広だなぁ」と思うし、ガルパンの円盤のCMを見たら「博報堂だなぁ」となります)

広告業界と照らし合わせるなら、
①CM制作会社=②アニメ制作会社
       ↑
 ③広告代理店=④アニメ製作会社
       ↑
  広 告 主=出 版 社
…みたいな流れになりますかね多分。
アニメ"製"作会社なんて呼び方してないだろうけども。


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……で!!
タイトルの悩み。
元々③アニメ制作会社に憧れ、今は①CM制作会社に居る身。
でも時間が経つにつれ、色々と知っていくにつれて、それらの地続きにある③や④にも興味が出てきました。
①に携わっていると、クライアントと密接に関わる③の仕事が凄く凄く気になってしまうし、アニメ業界は制作だけでなくメディアミックスの展開模様なんかにワクワクしてしまう自分もいたりして。

アニメも好きで広告も好き。
制作は楽しいけど製作でもっと広い視野を持ちたい気もする。
アニメ制作もアニメ製作もCM制作も広告代理店業務もやってみたい…。
そんな我がまますぎる4択に悩んでいるのです。

ここまで書いていて「電博でその手の部署に行ければ③④への好奇心は両立できるんじゃ?」と思いもしましたが、別にアニメ以外…実写映画とかはマジで興味ないんです。マジで。
アニプレックスとかジェンコ行ったらアニメばっかなんですよ?それに制作への興味も捨てきれない。
影分身して4方向全てで働いて時々元に戻って記憶を共有したい…そんな気持ち。
年齢的にあと2,3年でどれかにちゃんと決めないと、あとから業界業種を飛び越えるのは厳しいですよね。少なくともバリバリの若手がほしいであろうアニメ制作なんかは30過ぎてからじゃ手遅れ過ぎる。

そういえば今のブシロードはアツいらしいですね。
やりたいこと全部やれそうな気もするけど、敏腕経営者のトップダウンみが強そうな気もしてます。


マジでなんのオチもないですけど終わりです。では

 

 

長時間労働は人を変える。

土日休みに自室のベッドにこもり物思いに耽っていると、今までの自分はどこにいったんだろう、今の自分は何者なんだ、と思ったりする。小中高大と一貫して自堕落で朝寝坊だった自分が、今では七時だろうが夜明け前だろうが平気で起きるようになったからだ。それは勿論授業と仕事とでは遅刻への危機感が違うが、それだけではないように思える。老人が早起きになりがちな現象が早くも来ているというならそれはそれでいいが、原因は朝ではなく夜にあると僕は踏んでいる。


端的に言えば、朝の時間より夜の時間がほしいからだ。朝数時間うだうだ寝ている時間より、夜、一人で趣味に勤しんだり友人と談笑する時間に重きを置きたいからだ。だから、身体が悲鳴をあげても朝起きてなるべく早く仕事を済ませようとする。フレックスの概念を知ったときは「なにそれ寝放題じゃん」とワクワクしたものだが、今では早め早めに行動するようになった。
これは定時退社している人たちには理解できない行動心理かもしれない。労働時間の長さは嘆くべきことだが、元来自堕落な僕にとっては、その嫌すぎる長時間労働の弊害を避けるべく、意図せず規則正しく手の早い人間へと舵を切った。

 

キモくてクサくて自己管理のできないオタクこそ、忙しい職場でヒィヒィ言っておけばいいのかも知れない。
都内のオフィスで地上の夜景の一つになっている体育会系の日焼けした元パリピ営業マン達こそ早く家に帰ったほうがいい。私怨を言えば、君たちが家にいてくれたほうがむしろ僕も気が休まる。

 

それでは。

劇場版SHIROBAKOを見て封印されていた将来の夢が呼び醒まされてしまった。

こんにちは。
ふらろです。

昨日チネチッタ川崎でSHIROBAKOを見てきました。
去年のコミケで前売り券まで買っていたのに、今更です。
コロナのせいだよ。


いや懐かしいですねSHIROBAKO
オープニングの、夜明けの武蔵野アニメーションの絵が思い出されます。
あ、今回アニメそのものの感想とかは書くつもり無いです。
でもとても良かったので、あと何回か見たいですね。
続編制作決定に期待して…。


あれは大3の終わり頃だったかな。特に将来の夢もなく漠然と社会の歯車になって残りの人生すり潰していくんだろうなと考えていた頃。
何度目か分からないけどSHIROBAKOを見返していて、改めてアニメって良いなと思うと同時に、制作の仕事ってカッコいいなと思ったんです。
まぁ今CM制作なんですけど。
これまで就活等で語ってきた志望動機って、演劇部で脚本監督やってたら演出より制作をやってみたいと思ってしまった〜とか、経営学部が楽しかったからこれからも様々な業界や企業の活動を肌で感じていたい〜とか、そういうのだったんですよね。
でも、実際"制作"という仕事の存在を知ったきっかけはSHIROBAKOで、当時の僕は「金の回りの悪いこの業界を変えてやりたい」とか割と本気で考えていました。
でも就活の合同説明会なんかに顔を出してみると、アニメ業界のあまりの賃金の低さに臆してしまいます。
天下の○-1 Picturesでこれかよ!と。
あっ…これ浪費家の自分ではとてもやっていけない…と。
それでプツッとアニメ業界で働きたいという思いはたち消えてしまうんですが、制作というお仕事への興味は無くならず、他にピンとくる仕事もなかったので、あたかも始めから広告制作をやりたかったかのように自他に言い聞かせて今の仕事に就きました。

人並み以上に自分に都合の悪いことは忘れてしまう性格…というか頭がお花畑なので、昨日まで本当に忘れていたんですよね。
忘れ去られし記憶がフラッシュバックしてしまい困惑する、そんな劇場体験でした。

でも、当分は今の仕事を続けると思います。
制作の仕事を全部覚えられて、それを平均以上の精度と早さでこなせるようになってからですかね、転職は。
予算管理、スケジュール管理、クオリティの管理。
制作の仕事はこの三本柱だと言われています。SHIROBAKOでは加えて「作品を完成させること。それを世に送り出すこと」が強調されていましたが、大枠ではスケジュール管理のことですよね。(文脈的にそういう話ではなかったけれど)
基本は抑えておかないと異業種ではやっていけなさそう。
というか、今の自分ではとてもあの有能すぎる宮森にはなれない。

 

「クオリティを人質にするんじゃねえ!」
TV版SHIROBAKO#21、制作の平岡が宮森にキレるシーンです。
リテイク出すのは作監とかなのに、スケジュールが押すと責任を問われるのは制作。
その理不尽さは、業種は違えど僕も既に感じています。
「先回りできたら制作の勝ちだよ」なんて先輩は言っていましたが、そこまでやれる日はまだ遠い気がしています。


今の気持ちを忘れないうちにここに認めつつ、しばらくまた忘れておきたい。
本当は別にやりたいことがあるけど、今の環境で頑張るしかない。みたいなドロドロした感情を抱えていたくないので。

それでは。

広告制作の忙しさについて考える(1年目8月版)

こんにちは。
ふらろです。
ご無沙汰。

 

あ〜〜、「おや、この感染症騒ぎ、思ったよりオオゴトかも…?」と感じていた頃のことが信じられない。

20卒の皆さんはどういう研修スケジュールでしたか?
僕の会社は2ヶ月間の在宅中に簡易的な研修を受けた後、6月からは普通にOJTでした。
ホワイトカラーって全てOffJTでミッチリ仕事内容叩き込んでから世間に放り出されるものだと思ってました(ド偏見)が、全然違いましたねぇ…。


さて、以前も(別ブログで)書いたとおり、僕は広告制作会社に勤めております。
楽しく働きたいと考えた上で自分の内面と向き合って決めた職場でしたが、やはり「広告業界はハード」で過労死する人もいるというイメージはあったので、それを卒論のテーマにして原因を追い求める在学期間もありました。
まぁ代理店と制作会社では当然業務内容が大きく異なるわけですが、その地続きに3ヶ月ほど身を置いている立場から、広告業界が過酷になりがちな理由を考えてみました。

 

これまで働いていて最も印象的なのが、”伝言ゲームの連続”。
前提として仕事の流れを話しますと、まずクライアント(広告主)から依頼を受けた広告代理店は、クライアントの予算と希望に合わせてコンテンツを企画。そしてそれらの広告を打つTV局などの枠を買います。
TV局や新聞、鉄道会社などは、各々が持つ広告枠を使ってくれる広告主が欲しい。それらを代理で見つけてきてくれるのが広告代理店。広告主からすれば、適当な広告の枠を見つけてきてくれる上に企画制作も請け負ってくれるのが広告代理店です。後者の役割の存在感が増してきたことにより、最近は広告代理店ではなく広告会社と呼ばれることも多いですね。

そんな代理店から「こんな案件が来ててこういう企画でやろうと思ってるから、一緒に作ろうよ」と声がかかるのが広告制作会社です。
映像制作には多くの人が関わります。演出をしてくれるディレクター(監督)、カメラマン(撮影部)、ライトマン(照明部)、音響、美術、ヘアメイク、スタイリスト…等々。作品の内容や予算によって居たり居なかったりする方もいますが、いずれも重要な仕事。
制作会社によって社内でどれ程の職種をカバーしているかはまちまちですが、こうしたスタッフを取りまとめ、代理店とやり取りをするのが制作会社の仕事です。代理店側を向いているのがプロデューサー(P)、Pと背中合わせで現場スタッフの方を向いているのがプロダクションマネージャー(Pm)といったイメージが分かりやすいかと。

 

伝言ゲーム…そういうことです。
クライアント→代理店→制作会社…と流れてきた案件は、制作会社→ディレクター・カメラマン・ライトマン…とさらに展開されます。
「照明さんはこういった照らし方ができると言っていますが、ディレクターさんどう思います?」
「ディレクターはこういうキャストを希望している。数が多いからキャスティング会社にまとめて頼んで各事務所から候補を出してもらってオーディションをしよう。」といった無数のやり取りが、制作会社以下各スタッフとだけでも存在します。

更に、「ディレクターのこの企画コンテ、どうですか?」と代理店に確認すると、「クライアントはこういう演出嫌いだから、こういう感じの方向で考え直してもらえますか?」と”お戻し”をいただき、何度かその修正のやり取りが発生します。
そしてそれらを乗り越えても、クライアントがNoと言えば代理店・制作会社共々その”お戻し”に対応しなければなりません。
更に更に、最近僕も経験しましたが、クライアントも一枚岩であるはずがなく、クライアントの宣伝部(=代理店とやり取りしている方々)がYesと言っていたものでも、その更に上のお偉方がNoと言えばクライアント(宣伝部)・代理店を通して制作会社までまたまた”お戻し”が来ます。そして制作会社からディレクターなどにもその旨を伝え、一緒に作業するのです。

しかもそのお戻し、21時とかにきて翌朝までに再提出…みたいなスケジュールだったりしますからね。終電を逃してタクシーで帰るしかないこともままあるみたいです。僕はまだ新人なので先に帰されますが(ありがてぇ)。残ったところでその超絶お急ぎの仕事を超速で片づけられるわけではないどころか、わからない部分をいちいち質問していたらむしろお荷物でしょう。そうは言っても帰宅中に罪悪感は強く残りますけどね。

とにかく、こうした無数のやり取り…伝言ゲームの連続が、広告業界の労働時間が長くなりがちな理由のひとつなのかな、というのが最近思っていることです。お戻しが来るまでは深夜だろうと会社に残ってメールをチラチラ見る“待ち”の時間があり、その如何ともし難い拘束時間をうまく使えたらなというのが今の個人的な課題ですかね。
今後も制作会社で働き続ければ、または代理店に勤めていれば仕事の流れがより詳細に見えるのでしょうが、今僕に見えているのはこれだけです。

仕事を辞めたいというわけでもなければ、業界の問題点を指摘したいわけでもありません。
ただただ、「あーだから仕事が多いのか」という感想を抱いただけです。量はともかく内容は楽しいですし。

時間的制約がシビアである理由など、「なんとなく察せるけど自信を持って言えないこと」から全く分からないことまで、様々な論点があります。
これから働き続ける中で、そうした様々な疑問、興味に対して自分なりの回答を出していきたいと思っています。

CDJ19/20①に行った感想とか。

2uuublog.orgに投稿している記事の転載です。

これを皮切りにはてなでも別途で投稿するかも。

というかCSSとかよく分からないので、あっちはなんだかやる気をなくしてしまった。

 

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 以前自己紹介で大学時代にドラムをやっていたと書いたけれど、実はそこまで音楽が好きというワケじゃない。「まぁ、多少聴くし、叩けるけど?」みたいな。…ウザ。「まぁ」から始まる発言はだいたいウザいな…。気を付けよう。

 とにかく、そんな温度感だったので、実際にライブに足を運んだ経験は殆どなく、あるのはミルキィホームズのお正月ライブと、2018年末のCDJカウントダウンジャパン)初日、友人が出ていた渋谷や下北沢のライブハウスくらいなものだ。だから昨年のCDJは未知の体験だったわけだが、「まぁこんなもんか」というあっさりした印象に留まった。しかし打って変わって今年のCDJ、僕は物心ついてから20余年の記録を更新するくらい大泣きすることになった。

 

 元々高校時代はアニソンばかり聴いていたこともあり、一般的な音楽を聴くようになった今でもジャンルは広く浅くといった感じで、その中にもやはりアニメタイアップ曲を持つアーティストが多く紛れている。昨年はfhanaとLiSAが特に楽しかった覚えがある(むしろアニソンしか歌ってないだろ)。

 CDJ19/20初日の参加アーティストの中で僕が「これは絶対に行こう」と決めていたのは以下の僅か3バンドだった。

 

・Survive Said The Prophet(以下、SSTPと書いてサバプロと読む)

Nothing’s Carved In Stone(以下、NCISと書いてナッシングスと読む)

フジファブリック

 

| Survive Said The Prophet

 

 SSTP(サバプロ)を知ったのは、アニメ「BANANA FISH」のOPがきっかけだ。2018年に放送されたアニメで、それを後追いで見たのだからかなり最近の話である。そこで起用されていた「found & lost」に僕はすっかり心を奪われてしまった。「こんなツーバス今は踏めないけど、いつか完璧に叩いてみたい」と夢見ながら、ノリノリでApple Musicでヘビロテする日々が続いた。後で調べてみると、年内で3番目にたくさん聴いていたようだ。

 

"ちなみにApple Music Replay 2019では、今年よく聴いた曲トップ100を表示してくれる上に、その100曲でプレイリストを作成できる。Apple Musicユーザーでまだ試していないという人はぜひ使ってみて欲しい"

 

 そんなSSTP、他の曲も色々聴いているうちに、ボーカルのYoshの声に聞き覚えがあることに気づいた。進撃の巨人機動戦士ガンダムUCで楽曲制作をしているあの澤野弘之が手がける音楽プロジェクト、「SawanoHiroyuki[nzk](ヌジーク)」のゲストボーカルだったのだ。このnzkプロジェクトにはAimer(エメ)などの実力派ボーカル達が名を連ねており、アニメ「アルドノア・ゼロ」の「A/Z(アズ)」「aLIEz(アライズ)」や「ガンダムUC」の「Into the Sky」などは特に聴き込んでいた。無論Yoshが歌う「scaPEGoat」なども聴きまくっていた。

 こうしてSSTPとそのボーカルYoshにどんどん惹かれていった僕は、運良くCDJで彼らの生演奏を聴けることになった。それもほぼ最前列で。アーティストのワンマンライブはあんなに大勢の観客がいて近づくのも難しそうだというのに、CDJではいともたやすくステージの真下まで行ける。しかもダイブやリフトなどの危険行為もない。「環境神かよ…」と思いながら、コアなファンたちには少し申し訳なく思う。CDJはそんな場所であると今回気づいた。

 

[CDJ19/20のセットリスト]

1 MUKANJYO

2 found & lost

3 BRIDGES

4 Right and Left

5 when I

6 NE:ONE

7 HI I LO

 

 いきなりfound & lostを聴けるとは思っておらず、自分でも信じられないくらい興奮した。たまのアニメタイアップ曲は他のラインナップと比べると少し異質な場合もあり、古参ファンには「あぁ、その曲から入ったのね(嘲笑」といった反応をされるイメージがあり、もしかしたらセトリに含まれていないかも知れないと期待していなかったのだ。正直半分は曲と曲名が一致していなかったのだが、最後までテンションは上がりっぱなしで、「これがライブか」と感極まっていた。次に行く時までにはどの曲が来ても全力で楽しめるようにしておこう。

 

| Nothing’s Carved In Stone

 

 NCIS(ナッシングス)を知ったのは、サークルの後輩に文化祭でカバーしましょうと声を掛けられたのが最初だった。今年ファンを騒がせたELLEGARDENエルレガーデン)のギタリスト生形真一ストレイテナーのベーシスト日向秀和に声を掛けたところから始まったこのバンド、どのパートも難易度が高すぎてカバーするのには骨が折れた。あり得ないくらい簡略化をした気がする。

 カバーするようになってから2,3年が経っており、もうどれを演奏したのかハッキリとは覚えていない。Isolation、November 15th、Spirit Inspiration、In Future、YOUTH City、Graivity、Iside Outは確かやった。Like a Shootingstarはどうだったかな。好きなだけでやっていないかも知れない。ツバメクリムゾンのスコアが高すぎて断念したのは覚えている。

 IsolationとSpirit Inspirationは6/8小節だったかな。世の中大抵の曲が4拍子で「1234,2234…」と数えていけば良いのに、これらは「123456,223456…」と進行して行くので、慣れないうちは気が狂いそうだった。3なら拍子なんて気にせずとも嫌でも気付くが、6は意外と気付かないまま練習してしまい、後ろの方に来てから「おや、何かおかしいぞ」となる。後輩のドラマーが叩いたHand In Handなんて所々5拍子が紛れ込んでいて正気かと思った。しかしNCISをきっかけに変拍子の音楽に興味を示すようになった。そうでなければCo Shu Nie(コシュニエ)などに目が止まる事もなかったかもしれない。

 

[CDJ19/20のセットリスト]

1 Spirit Inspiration

2 In Future

3 Music

4 Isolation

5 Out of Control

 

 いきなりspirit inspirationか!と、僕も会場も沸いた。僕はSSTPでfound & lostが流れた時と同じ理由で驚いた(spritは絶縁のテンペストのOP)が、単純に人気曲だよね、どっちも。たったの5曲とはいえ、ライブでセトリ全てが知っている曲だったのはこれが初めてだ。好きなアーティストの話をする度に、相手をガッカリさせないために「にわかだけどね」と予防線を張る日々も卒業が近いかも知れない。

 Isolationの2番サビ後の、各パートのせめぎ合うようなソロは本当に見ものだった。特にドラムのここはカバーする際に一番苦戦させられたから、よくよく聴き入ってしまった。大喜多崇規は神なのかな。生で見ることが許されていいのか?あれは。明治維新より前の天皇陛下は”すだれ”の向こうにいたんだろ。

 Out of Controlで僕のテンションは最高潮に達した。叩いたことはなかったけれど、いつか叩きたいなとこれまたよく聴いていた。イントロの時点で僕の中のリトル村松拓が「待ってたんだこの夜を!行けるか!?踊ろうぜ!!」と煽ってきた。だから実際になんて言ったかは聞こえてなかった。でも良かった。音楽を聴いて目頭が熱くなることは滅多にないので、この時の記憶は忘れないだろう。松村拓がアウトロで同期音源を聴くイヤホンを外してこちらに微笑みかける様はさながら天使のようだった。この時ばかりは僕のお迎えはこんなゴリ天使でも良いなと思えた。

 青春をありがとう。NCIS。まったく、苦労させられた。

 

| フジファブリック

 

 フジファブリックは今年、2004年のメジャーデビューから15 周年、初代ボーカル志村正彦の没後10年を兼ねる節目の年だった。「鋼の錬金術師」の荒川弘がサンデーで連載していた「銀の匙」のアニメのOP、「LIFE」は、僕が最初に聴いたフジファブリックの曲だった(こいつ何もかもアニメから入ってるな)。2014年の話だ。

 翌年大学に入り、ほとんど音楽を聴かない僕が好きなバンドとして挙げたものの一つがフジファブリックだったのだが、そこに1人の同期が喰い付いた。「志村正彦じゃん!」と。誰だそれは。にわか丸出しの僕はそこで山梨は富士吉田市生まれのフジファブリックの歴史を聞かされた。2000年結成当時のメンバーは1人も残っていないこと、バンド名の由来となった富士ファブリック株式会社を実家に持つドラマーも当然いないこと、クリスマスイブに謎の死を遂げた志村正彦という人物の話、すべて初めて聞くことだったし、アーティスト個人個人の話をここまで掘り下げるという経験が僕にはなく、当時とても新鮮に感じていたことを覚えている。

 前述のNCIS同様何度もドラムでカバーしたバンドで、若者のすべて、茜色の夕日、陽炎、赤黄色の金木犀、Bye Bye、Suger!!、桜の季節、Anthemなどをカバーさせてもらった。大抵若者のすべて+何かだったので、あまり曲数は多くない。ぶっちゃけた話、まったりした曲が多いため叩くのはそこまで好きではなく、もっぱら聞いたり歌ったりすることの方が好きだった。「若者のすべて」に至っては歌いすぎてむしろ恥ずかしくなってきた節すらある。カラオケで流行りのJ-POPしか入れないような、「お前そのバンド全然好きじゃないだろ」とヤジが飛んできそうな、そんな恐怖すら出てきている。

 

[CDJ19/20のセットリスト]

1 破顔

2 Green Bird

3 Suger!!

4 LIFE

5 銀河

6 東京

7 若者のすべて

8 手紙

 

 お察しの通り、大学時代僕が聞いてきたのはほぼ志村正彦が生前携わった曲で、山内総一郎がマイクを取ってからの曲はあまり知らないまま会場に来てしまった。しかもまた最前列間際。もし新生フジの曲ばかりだったらどうしようと、そんな不安があった。しかしリハでは夜明けのBEATを流すし、セトリも半分は知っている曲で、大層盛り上がった。カバーもしたSuger!!なんてほとんど一緒になって口ずさんでいたが、周りはそうでもなかった。最初からお通夜モードだったのか、最前部中央に集まっていたのはVo./Gt.山内総一郎、Key.金澤ダイスケ、Ba.加藤真一の3人体制になってからのフジファブリック限定のファンだったのだろうか。その辺りは今もちょっと分からない。

 「東京」で総一郎のちょい下手ラップでバカみたいにテンションが上がってからの「若者のすべて」。一気に会場はしんとなる。この時僕はもう感極まって泣いているのだが、総一郎のMCはそこに追い討ちをかける。当然志村正彦の話になる。当時からCDJに出演していたフジ、今でもこの場所を守っているよという話、君がいなくなった後も僕たちは頑張ってきたよという話、全てが作り込まれた感動超大作のようで、これが本当に現実なのだと思うと一層悲しく、愛おしく思えた。

 そして最後に自分たちの曲を歌うぞといったニュアンスのことを話し、演奏に入る。泣きじゃくる僕は「あ、最後知らない曲か。楽しめるかな」といった不安がチクリと胸を刺すのだが、この「手紙」はメロディも歌詞も全て全てが僕の心を掴んで離さなかった。アンコールは無く、メンバーが退場した瞬間にスタッフが壇上に上がってきたのは少し寂しい気がしたが、とにかく泣きに泣いて震える僕はしばらくその場を動くことができなかった。

 僕に当時の思い出はないが、長年のファンにとっては志村が亡くなった数日後のCDJ奥田民生が「茜色の夕日」を歌った瞬間や、2010年の「フジフジ富士Q」のような感動があの場にあったのでは無いだろうか。存在を知った時には既に亡くなっていた人に対してこんなに感情的になることがあるのかと、音楽の可能性は底知れないなと僕は思った。

 

 各アーティストへの想いとその時の感想を書き綴っていたら随分と長くなってしまった。元々この時の感情を風化させたくないと思い立って31日未明の3時に書き始めたが、もう23時を過ぎてしまっている。なんとか今年のうちに書ききれてよかった。ブログという自分の思いを言語化するツールがあってよかった。ここまで読んでくれた人、どうもありがとう。良いお年を。

ブログ紹介

はてなブログユーザーの皆様こんにちは。

2uuu/ツーです。

Twitterでは「ふらろ」と名乗っています。

知人数名がはてなでブログをやっていることを知ったので、星を投げるためにアカウントを作りました。

2019年の11月末に開設したばかりですが、僕もブログを始めたので良かったら見て行ってくださいませ。

はてなじゃなくてごめんなさい。身の回りのモノや、その他僕の好きなことなどについて、不定期で更新していくつもりです。どうぞよろしくお願いします。